
いつもお世話になってます。
ディアモール店のKです。
この日はどうしても太陽を撮りたかった。
朝焼けは駄目、だったら夕焼けでも良いから。
写真やっててそんなふうに思ったことは無いですか?
高梁をあとにし、再び同じようなルートを南下。
次にやってきたのが児島半島の先端です。
ずいぶん昔から下津井から丸亀を結ぶ四国往来と呼ばれる主要航路がありました。
金比羅参りの人々も古くから多く利用していたのだそうです。
ところがずいぶん東に離れた宇野から四国高松へ渡る宇高連絡船の運航が開始されると下津井利用者は少しずつ減少。
そうそう、この下津井(shimotsui)と聞いてシモデンという言葉を連想される方も多いのでは?
下津井で軽便鉄道を思い出した方は、きっと鉄分豊富(てつ)な方です。
じつはこの軽便鉄道こそ下津井電鉄の鉄道事業線であり、今のシモデングループの元なんですよね。
国鉄宇野線茶屋町駅から下津井港を結び、下津井港町を再び活気付ける為に敷かれた鉄路だったのです。

1988年にご覧の瀬戸大橋が開通、高速道路とJR(国鉄)線が供用開始。
これによって本州と四国を結ぶ各航路は静かになってしまいます。
また、児島市街地から岡山市内へ向かう道路(バス路線)も整備され、利用客の減った鉄道線の一部「茶屋町~児島」間は廃止。
瀬戸大橋絡む観光鉄道として再び鉄道事業に力を注ぎましたが、真新しい瀬戸大橋の魅力には勝てませんでした。
下津井電鉄鉄道線が1991年に廃止される数年前のこと。
米子の親戚んちへ鈍行乗り継いで向かうついで、岡山からちょっと足延ばして下津井電鉄へとお立ち寄り。
当時撮ったはずの写真は例の如く行方不明、撮ったのかどうかも思い出せません
それでも懐かしさいっぱいローカル風情溢れるのどかな鉄道でした。
山の斜面を縫うように敷かれたナローゲージ、海が見えたり畑の中をトコトコ駆け抜けたり。
マッチ箱のような可愛い下津井電車、窓を開け山斜面駆け上がってくる潮風を頬に受ける心地よさ。
これだけは今も忘れません。
レトロ感覚受けるこの時代、本当の意味での軽便鉄道。
もう少し頑張って走っていたなら再び脚光を浴びていたのではないでしょうか。
寂しい!悔しい!...そして残念。
廃止に伴う「さよなら運転」に訪れることは出来ませんでした。
暖かくなったら、時間が出来たらカメラ持って再び廃線跡へと訪れてみたいと思います。
そんな想い出のある場所が今回の最終撮影ポイント。
まずは瀬戸大橋の付け根から撮影開始です。
使用機材
PENTAX K20D with・・・
TAMRON SP AF 10-24mm F/3.5-4.5 DiⅡ B001
smc PENTAX FA★ 85mm F1.4 ED [IF]
Tokina AT-X840 AF 80-400mm f/4.5-5.6 Ⅰ
アップした画像は全てリサイズ済み。
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